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乾杯は【伊丹の酒】で!

第12回 子どもたちのために、環境を守りたい

伊丹市保健衛生推進連合会 会長 山本泰通さん

前回登場の原弘さんから紹介されたのは、26年にわたり伊丹市保健衛生推進連合会の会長を務めている美容師の山本泰通さん。「子どもたちのために、環境を守りたい」と、熱心に活動に取り組んでいます。

姉に仕込まれたおかげでお客さんに喜ばれ

「父の再婚相手は、英語が話せるインテリの女性で、私は随分意地悪をしてしまいました。でも、父も若くで亡くなり、義母に仕送りをしていたのは、6人兄弟の中で、私だけだったんです」
「父の再婚相手は、英語が話せるインテリの女性で、私は随分意地悪をしてしまいました。でも、父も若くで亡くなり、義母に仕送りをしていたのは、6人兄弟の中で、私だけだったんです」
――山本さんは美容師ですが、昭和9年生まれでは、進んだ職業ですよね。


美容学校では660人中、男はたった4人で、私は伊丹では男性で開業した美容師第1号なんです。京都で婦人服店をやっていた母は、私が小学校4年の時に過労で亡くなり、その後、姉が美容室を開きました。私はずっと野球に明け暮れ、高3の最後の大会が終わった時に燃え尽きて、次は競輪選手を目指したいと親に相談したら、「理容学校と美容学校に通うこと」との条件付きで、3年間好きにさせてもらいました。結局、練習のし過ぎで体を壊してしまい、夢は叶いませんでしたけどね。仕方なく、親の言う通りに散髪屋へ住み込みで見習いに行きました。俳優の長谷川一夫さんが通う名門の店で、ほとんどが中卒で入って来る世界に、私だけ20歳だったんです。朝暗いうちから精一杯がんばりましたが、慣れない環境での気疲れと過労で肝臓を悪くして、実家に戻ることに。半年ほど姉の美容室を手伝って、それから美容学校へ入学しました。
「美容コンテストでは何度も入賞しました。雑誌のインタビューで『作品のイメージは?』と聞かれ、苦し紛れに「カニ」と言ったこともありましたね(笑)」
「美容コンテストでは何度も入賞しました。雑誌のインタビューで『作品のイメージは?』と聞かれ、苦し紛れに「カニ」と言ったこともありましたね(笑)」
――実家のお店を手伝っていたから、美容学校には抵抗がなかったんですね。

父は、昔から私にたくさん小遣いをくれましてね、美容学校でも友達を連れて豪遊していました(笑)。小遣いが底をついたので、ねだろうと思っていた矢先に、父が54歳で死んだんです。急に貧乏になって、姉に月謝だけ出してもらい、卒業後は伏見の美容室で住み込みをしていました。美容室の先生夫婦には随分かわいがってもらいましたが、それを快く思わない先輩達が、フケ取りや下処理の難しいお年寄りのお客さんを私に回すような意地悪をしてきたんです。でも、姉に厳しく仕込まれていたおかげで丁寧な処理は得意でしたから、お客さんに気に入ってもらい指名がどんどん増え、給料もたくさんいただきましたね。

鋳物工場の粉塵で干したタオルが真っ黒に

「私は、ひょうごガーデンマイスターの第1回認定者なんです。花づくりの講師として呼ばれて、指導に出かけることもあります」
「私は、ひょうごガーデンマイスターの第1回認定者なんです。花づくりの講師として呼ばれて、指導に出かけることもあります」
――伊丹で開業されたのは、いつですか?


寺本の美容室の応援で伊丹にやって来て、自分の店を稲野に持ったのが、昭和37年、28歳の時です。近くに製糸工場があり、若い女性が朝暗いうちから、行列を作って店に来てくれました。ところが、2階に干したタオルが真っ黒になるんです。近隣の鋳物工場から出る煙が原因だとわかり、地域の人と公害対策の活動をすることになりました。自宅の2階に測定器を設置して、30分毎に測り、大気汚染の数値が、市、県、国の基準を大きく超えている実情をビラに書いて配布したり、マイクを持って訴えたり、大学の先生に指導してもらった資料を持って、国へ陳情に行ったりしました。そんな活動をずっと続けて、ようやく行政が動いてくれて、鋳物工場は立ち退くことになったんです。


――10年以上活動を続けて、ようやくの移転だったんですね。


工場の跡地を購入したい企業が、毎日のように自宅に押しかけて来て大変でしたが、大手前短期大学が移転して来ることに決まり、その隣に稲野公園ができました。私は、稲野公園の管理を任され、花壇の手入れをしたり、子どもたちに一輪車の指導をすることに。市制50周年の市民まつりの時には、伊丹市内の自治会長さんの有志を指導して、一輪車に乗りながら神輿を担いだんですよ。手入れをした公園の花壇は、花のコンクールに何度も入賞しました。美容室は妻に任せて、地域活動ばかりしてきたんですよね(笑)。

ごみになっていた枝葉をチップ化でたい肥に

――ところで山本さん、お酒の方は?

そんなに強くはないです。でも、大切な人へのお土産は、ボトルに樽廻船が描かれた山田錦100%のお酒を、いつも持って行くんです。江戸まで樽廻船に乗せて酒を運んでいた、伊丹らしいお土産ですからね。それから、毎年いくつもの新年会に出席していますが、酒樽の鏡割りは大好きな行事です。 やっぱり樽酒は良いですね。

――たくさんの役をされているから、お忙しいですね。

すべてのきっかけは、公害対策だったんですよ。自治会長は30年間務めて、昨年引退しました。来年が、伊丹市保健衛生推進連合会の45周年なので、その行事を終えるまでは、会の仕事をがんばろうと思っています。住環境、生活環境、地域環境の3つが整って、初めて生活は良くなると思うんです。私が活動を続けて来たのは、子どもや孫に良い環境を残したいから。未来ある子どもたちに、投資をすることは、とても大切ですよ。でも、ボランティア活動を続けるには、まず自分自身の健康管理が必要ですよね。元気でないと、他の人のお役に立てないですから。
せん定した校庭の樹木のたくさんの枝。普段ならごみになるところですが……。
せん定した校庭の樹木のたくさんの枝。普段ならごみになるところですが……。
――最後に、今、特に力を注いでいることを教えてください。


地域と企業と行政の協働による「せん定枝のチップ化体験モデル事業」です。せん定した枝葉は、普通ならごみになり、燃やすとCO2が発生します。それを、土に返そうという事業なんです。住友電気工業株式会社さんから、枝を細かく砕くチップ化の機械と技術者の方を小学校などに派遣してもらい、地域の人と一緒にせん定した枝をその場でチップ化して、土に返したり、希望者に持って帰ってもらいます。チップを木の根元に撒くと、保水作用で土が乾かないだけでなく、雑草が生えにくくなるんです。また、これにEM菌などの発酵促進剤を入れて熟成させると、とても良いたい肥になるんですよ。これまで実施したのは、2つの小学校と自衛隊と天津緑地。今後は、市内の小学校すべてを回りたいと思っています。
チップ化の機械にかければ、この通り粉々に。これを土に返します。
チップ化の機械にかければ、この通り粉々に。これを土に返します。
太い枝が、目の前で大量のチップに変身。地域の方々にも喜ばれ、多くの皆さんにお持ち帰りいただきました。
太い枝が、目の前で大量のチップに変身。地域の方々にも喜ばれ、多くの皆さんにお持ち帰りいただきました。

山本泰通さんからのお友達紹介

「5月に合併した『伊丹市国際・平和交流協会』の初代会長の石川大海(ひろみ)さんを紹介します。平和都市と国際交流と青少年育成のために、長年にわたり精力的に活動をされている方です」
小西新太郎さん→石川道子さん→善見壽男さん→古田孝雄さん→武内重治さん→久保武久さん→岩城敏之さん→大森英夫さん→加藤拓さん→荘司幸子さん→原弘さん→山本泰通さん→石川大海さん