街の小ネタ byチャリンコ営業マン
長者さん家の襖は、下張りに古文書!
2007/12/07
「乾杯は【伊丹の酒】で!」第2回に登場の、神戸大学地域連携センター・石川道子先生。
2時間近くに及んだインタビューの「溢れた話も聞いてもらいた~い!」ということで、オマケです。
興味無いものは見えないのかしら
「古文書を知らなければ、蔵から出てきても汚いと思って捨てちゃう。大事な物だと知って欲しいこともあって、勉強会を開いているんです」
――石川さんのおとぼけぶりは、有名なのですか?(笑)
自分では、そう思わないのですが……。
送別会か何かで4~5人でお店に行ったら、幹事の人が予約をしてなくて、断られたんです。
メンバーの1人が、「僕だったらすぐ予約しておくのに、店を予約してないなんて! 石川さんなら分かるけど」って。
長い付き合いなんですよ、この人。
私のことどう思っていたのかしらって、ちょっとビックリしましたが、周囲のみんなは納得してました(笑)。
――でも古文書については、忘れないし夢中になれるんですね(笑)。
興味の無いものはあまり見えてないのかしら。時々、みんなどこであんなこと教えてもらうのかしら?と思うことがありますが、自然に分かるらしい。鈍いのかしら?
今、住んでいる家は、御願塚の長者さんの年代物の家屋で、襖の下張りがどうやら古文書みたいなの。古紙のリサイクルですね。いつか、襖をはがすようなことがあれば読めるな、と思っています。
米の豊凶によって、酒造高が制限されて
――伊丹のお酒は大人気だったのに、どうして灘が繁栄したのですか?
「伊丹では年間を通じて酒造りをしていましたが、灘では仕込み時期を極寒時期に集中させてました。
暖かい季節より寒い季節の方が、腐敗しにくい高品質のお酒が出来たようです」
お酒は、原料の米の豊作や凶作によって、幕府から酒造高を制限されたり奨励されたりしていたんです。
酒造は免許制で、酒造家は酒株というものを持っています。無株の人は造れません。
宝暦4年(1754年)、豊作続きでお米の値段が下がるのを食い止めるため、米を消費させようと、酒造株を持っていない者もお酒が造れる「勝手造り令」が出されました。
これによって、灘の酒造りが盛んになった。
伊丹では、手間暇かかる足踏み精米をしていましたが、灘では、六甲山から流れる急な河川で水車精米をしたり、海岸部の広大な土地に酒造蔵を作ったり、江戸へ船積みしやすい立地などのおかげで、発展していったようです。
――ところで、石川先生の趣味は?
江戸の古川柳です。仕事をやめたら、古川柳をちょっと真剣にやりたいな、と思っています。
FMいたみでは、毎月第4金曜日の11:30から古川柳のコーナーを持っています。
最初のころは緊張しましたが、最近はずうずうしくなり、スタジオ前を友人が通ると、手を振ったりしてるの(笑)。
第1回の小西社長に続いて、石川先生もしゃべるしゃべる。
また本編からはみだしてしまいました。
先生と一緒に旅行でもしたら、きっといろんな予期せぬことが起きて楽しいだろうなぁ。
旦那様は辛抱強くて、気の長い方に、まちがいない!
チャリンコK